いままで&これから

2021/07/09

普願寺の桜が例年より2週間も早く咲き、見る人たちを楽しませてくれました。
今まで普願寺の活動の柱となっている世話人会から始まって、仏壮仏婦の総会、夏の清掃奉仕、キッズサンガ等、昨年はたくさんの行事がコロナ禍で縮小や中止を余儀なくされ、今迄経験したことがない閉塞感の中での毎日でした。
それまでは何も考えず当たり前のように、行きたい所へ行き、会いたい人に会い、大きな声で心おきなく話せることが、いかに有難い事だったかと気づかされました。
改めて、周りの事に感謝しながら一日一日を丁寧に過ごそうと思います。
【 拝まれて ゆるされて 生かされている私】東井義雄先生の詩です。

いままで&これから
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・ことしも沢山の挿し木をしたいと思います。

永代恭敬供養墓
「安穏廟」ご案内

永代恭敬供養墓「安穏廟」ご案内

ポイント ポイント

  • 宗派を問わずどなたでも使用できます。
  • 合葬墓で、普願寺が存続する限りお守りいたします。
  • 一度納骨しましたら、お返しすることはできません。
  • 春・秋彼岸会とお盆には、墓前で法要を行います。

☆使用料 200,000円 と 恭敬供養料 200,000円、合計 400,000円になります。

普願寺の歴史

普願寺は、1247年(宝治元年)に初代賢阿房信性が秩父大岩の里に一宇を建立したのが始まりです。寺号は、1314年本願寺の覚如上人より奉受したものです。
当初は、武州秩父の大岩の郷にあったことから、大岩山『普願寺』と称しております。1351年に須坂の日滝の地に移住し、更にその後1555年、現在の須坂市南原の地に移転して今日に至っております。当時は、広大な構想のもとに寺院建立がなされ、寺院内に5ヶ所が築造されました。その後火災にあい、1747年に入母屋、銅板葺、平入、桁行18間、梁間18間、正面3間向拝付、越後国本与板村出身の丸山武兵衛が棟梁として再建したものです。本堂の大伽藍は、当時も今も浄土真宗としては県下随一の大きさです。
寺宝である木造聖徳太子立像は鎌倉時代末期から室町時代に製作されたもので檜材、一木造、像高102cm、面幅11.5cm、胸幅24.5cm、玉眼、1984年に須坂市指定有形文化財となりました。また、普願寺の本堂と鐘楼は江戸時代に建てられた寺院建築として貴重な事から1992年に須坂市指定有形文化財となりました。

普願寺の歴史表
境内案内

当寺院は、須坂市指定有形文化財に指定された、本堂・鐘楼・聖徳太子像などの他に、多くのみどころがございます。ぜひ「ふらり」とお気軽にお立ち寄りいただき、四季ごとに移り変わる境内の表情をご覧ください。
地域とともに歴史を重ねた貴重な木仏や建造物などを境内の空気と合わせて感じていただければと思います。

普願寺の歴史表
正門

◆正門
石畳の道から合掌して本堂へ入る前の正門です。菊の花を透かし彫りにした欅の扉と多くの美しい彫刻が特長です。

お太子

◆お太子
鎌倉時代末期の作品で、楠一本で彫られています。
須坂市の文化財に指定され、年1回、春のお彼岸に開帳されています。

門徒会館

◆門徒会館
御門徒の方々に利用しやすいように設計された門徒会館です。

鐘楼

◆鐘楼
160年前に建立された鐘楼。石積みの曲線、鐘楼に施された彫刻は当時の粋を感じさせます。鐘楼の2面に刻まれた彫刻の鳳凰は、硬い欅造りにもかかわらず、羽を空中に浮かせた見事なものです。

御殿

◆御殿
大正2年、大谷光瑞本願寺御門主が御来臨の際に建立されました。総檜造り、高床式です。

太鼓楼

◆太鼓楼
江戸時代末期に造られた太鼓楼。住民や寺内への連絡にも使われました。

アクセス

当寺院へお越しの際は、お車でのお越しが可能です。また、公共交通機関でもお越しいただけます。

◆ 所在地 ◆

〒382-0027
長野県須坂市南原町353番地

◆ 電車でお越しの場合 ◆

JR長野駅より長野電鉄 須坂駅(特急で15分)下車後、タクシーで5分。

◆ バスでお越しの場合 ◆

長電バス 仙仁線 穀町バス停から徒歩5分。

◆ 車でお越しの場合 ◆

上信越自動車道 須坂・長野東インターチェンジより、約6km(田中本家博物館が目印です)。

お問い合わせは下記より承っております。

電話でのお問い合わせはこちら
026-245-0305
メールでのお問い合わせはこちら
fuganji@stvnet.home.ne.jp